理事長・校長ブログ
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2015/03/07
- 理事長・校長
読書案内2
以前、“猫の学校”のエピソードに関連して読書案内をしましたが、今回はOB編(その1)です。
125年の歴史を有する郁文館ですので、優秀なOB(本校では校友といいます)を数多輩出してきました。この後、何回かに分けて、校友とその著書を紹介していきたいと思います。
まずは、郁文館中学校・第一回(明治25年)卒業生の柳田國男です。
柳田國男(1875-1962)
明治期の卒業生名簿
松岡國男 の旧姓で記載されている
『郁文館学園七十年史』に収録された、柳田自身の昭和34年の回顧(「在学中の思い出・其の他」)によれば、
「・・・明治十五年の暮、再度上京、第一高等中学校に入学する前、私立の学校を三四転々として、卒業は郁文館でいたしました。随分遠い昔のことで、御徒町の兄の下宿から、だらしのない袴すがたで徒歩で通いましたが、在学は一年たらずでした。」
とあるように、中学校の卒業は郁文館で、その後、一高・東京帝大を経て、農商務省の官僚となりました。
ちなみに、“松岡5兄弟”の末弟である松岡輝夫(映丘)も明治32年に郁文館中学を卒業し、東京美術学校(現東京芸術大学)を経て、大和絵の伝統を近代に蘇らせ、多くの名品を残す日本画家として活躍しました。
後列右が國男、左が輝夫(1881~1938)
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農商務省では農務局農政課に勤務し、全国の農山村を歩き、地方の実情に触れるうちに次第に民俗的なものへの関心を深め、民俗学を学問として確立させるために尽力しました。
その頃公刊し、代表作ともされるのが『遠野物語』です。
柳田国男 『遠野物語』 (岩波文庫版)
1909年(明治42)に岩手・遠野の住人から聞いた話をまとめ、翌年に公刊した書物で、日本民俗学史上の古典とされています。早池峰山の女神、オシラサマ、コンセサマ、ザシキワラシ、天狗、河童、山の神、雪女、山姥・・・等など、様々な神や妖怪などが登場する伝説、民話、昔話などを収集したもので、素朴な民間伝承が格調高い文語体で綴られています。
官を辞した後、晩年まで民俗学を中心とする研究に従事する一方、伝承文芸、方言研究の分野にも多くの独創的研究を成し遂げ、平明な文章と広範な知識により日本民俗学を確立、普及させるとともに、
研究者の組織化と指導にも努めました。その功績により日本芸術院会員、日本学士院会員となり、1951年には文化勲章を受けています。
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前述の回顧を再び引用します。郁文館の創立者・棚橋一郎について述べています。
「棚橋一郎先生は、私のいる時分にはもう講義には出ていず、何か倫理のようなお話だけなさっていたようです。強い、覇気のある人で、深い印象がのこっています。かなり大きな声で思ったことを言われる方だったが、おのずから、こういう事業をするために自分を制していられたらしい。・・・
(中略)・・・もの覚えのいい方で、私が柳田姓になったのは大分のちで、覚えていまいと思っていたら、ちゃんと覚えていられた。私の知っている記憶力の強い三、四人の一人です。」
創立者 棚橋一郎
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「とにかく、郁文館は懐かしいね。是非一度訪ねて行きますよ。私は、郁文館には不愉快な思い出は何ひとつありません。ほんとうに行きますよ。」
昭和34年の回顧はこのように結ばれており、郁文館では来校をお待ちしましたが、残念ながらこれは実現せず、昭和37年に87歳で亡くなられました。
この偉大なる民俗学の巨人を、第一回卒業生として送り出し校友としていることを、郁文館は今後も大いなる誇りとしていきます。
校長 宮崎 宏